眠気。ただただ眠りを欲する。


刃を逸らす斥力は、日々を生きる意志力と同質であるから、ぶつけ合えば、あるいは、刃は潜る。


世界から救済の徴が訪れないことよりも、自らの無意識すら自らを放棄したことに絶望する。苦痛も、幸福も、何も夢に見れない。昼も、夜も、ただ日常の刺激に応答するだけの機械的な夢しか見られない。


寒い。きっと更に寒くなる。


かつて、小学生の頃に産み出した呪いを、思い出す。
「時が経てば、きっと踏み出せるよ」


冴えないやり方。わが涙は流れない。と言ってみる。


薄明かり。ハロゲンヒーター。少しだけ、書く喜び。

岩波文庫『ドイツ名詩選』を読んで

 原文と翻訳がWEB上に転がっていそうなものはタイトルのみ記録。

ゲーテ
○至福の憧れ(Selige Sehnsucht)
○見るために生まれ(Zun Sehen geboren)

ヘルダーリン
○ヒュペーリオンの運命の歌

●ヘッセ
○曠野の狼(Steppenwolf)
(『危機』(1928)収録。同名小説も存在する。)

おれは曠野の狼、駆けりに駆ける/世界は雪におおわれ〜
Ich Steppenwolf trabe und trabe, Die Welt liegt voller Schnee〜


●ザックス N.Sachs
○救われた者たちの合唱(Chor der Geretteten)

T・S・エリオットの詩

彌生書房・世界の詩43『エリオット詩集』より


●「アルフレッド・ブルーフロックの恋歌」の序文

われもし、わが答えの、ふたたび世に帰りゆく人に
聞かるるものと思わば、この焔は静まりて、
また、ゆらぐことなからん。されど、わが聞くところ真ならば、
この深みより生きてかえりしものなきゆえに、われは名を汚すおそれなしに答うるなり。


●「荒地 I 埋葬」
四月は残酷極まる月だ
リラの花を死んだ土から生み出し
追憶に欲情をかきまぜたり
春の雨で鈍重な草根をふるい起こすのだ。
(以下省略。有名な詩なので検索したらすぐに見つかる)


●「うつろな男たち」
俺たちのなかみはからっぽだ 
俺たちのなかみはつめものだ 
よりそって立ってはみるが 
頭の中は藁のくず、ああ!
(以下略)


●「バーント・ノートン
○III
(同書の翻訳よりもWEB上に転がっている私訳↓の方が素敵かもね)
http://www.geocities.jp/eggcafe1mizu/fourquartets/b.n.3.htm
○V (これは同書の訳が良い感じかしらん)
言葉は動く 音楽は動く
ただ時間の中だけで だが ただ生きているものは
ただ死ぬだけだ
話された後の言葉は
沈黙に達する
ただ形とパターンによるだけで
言葉と音楽は
静寂に達するのだ
支那の壷が静寂の中で永遠にたえず動くように。
音の続いている時のヴァイオリンの静寂でも
それだけでもなく 二つがあるのだ
或は終りは始まりに先行する。
そして終りは始まりとは常にそこにあった
始まりの前に 終りの後にある。
するとすべてものは常に今なのだ
言葉は緊張し 砕け散り時時壊れる
苦痛の下で 緊張の下で
滑り 傾き 腐り
不正確によって朽ち果ててしまう
その場所にじっとしておれない
静かに止ってはいないだろう
つんざく声 小言 嘲笑 またつまらぬお喋りも
常に言葉を攻めたてる
砂漠の中の言葉は 誘惑の声や
葬式の舞踏の中に泣く影や
悲しいシメールの大声の泣声に
襲われる。
パターンの細部が動きであるのは
十段の階段のたとえにあるとおりだ。
欲望それ自身は動きだが
それ自身はいらないのだ
愛そのものは動かない
ただ動きの原因と結果になるものだ
時間もなく、欲望もなく
時間の相の中だけで
非存在と存在の間にある
限られた形の中でとらえられるのだ。
突如 一条の光の中で
よし塵が動くとも
葉の茂みの中で子供達のかくれた笑いが起る
今早く ここだ 今 常に――
荒れた悲しい時間が
前にも後にも広がっているくだらなさ。