スウェーデン国歌《Du gamla, du fria》の歌詞に見られる混乱についての私的考察

 スウェーデン国歌をよくよく聴いていると、録音によって歌詞が違っていることに気づく。二番の一節が

(1):「Jag vet att Du är och Du blir vad du var」
(2):「Jag vet, att du är och förblir vad du var」

このように、微かにではあるが異なっている。それぞれを英訳すると、以下の通りだ。

(1):「I know that you are and you become what you were」
(2):「I know that you are and will remain what you were」

日本語で表現するなら…「在り様に成る」と「在り様のまま」の違いとでも云うべきかしらん?


さて、わざわざリンクを貼るのも面倒なので、調べた結果をソースの提示なく記述して行く。

○瑞語圏のサイトを見るに、"formal"と呼ぶべきは(1)の方である。
○英語のwikipeは、(2)の間違いについて言及している。さほど珍しくは無いらしい。
○日語のwikipeは、恐らく検索上位の歌詞翻訳サイトから丸々写している。
○瑞語圏のサイトで、「(2)で歌う人は1/10くらい」と書かれている。真偽不明。


 ……ただ、『何故に言い換えられるのか』については、私の言語力では迫ることが難しい。幾つものソースに当たって見識を深めるなんてのは、不可能だ。酷く手抜きであるが、「言い換え問題」について言及している彼国住人の文章を乱暴に私訳して、思考の一助とする。


http://kennethnyman.blogspot.com/2009/05/felsjungning-i-nationalsangen-och.html

<私訳>
Sw.国歌の誤った歌詞 - "och förblir vad du var"
「Jag vet att du är och du blir vad du var」。
そんな風にSw.国歌の一行は読む。
しかし今日、貴方はしばしば「och förblir vad du var」と云う人々の歌い方を聞くことが出来る。
どうして誤った歌詞は発生したのか?
私が推測するに、それはSw.語動詞「bli(va)」の意味が変化していることと関連している。
今日、私達はしばしば「bli(va)」を、動詞格を用いる時、いわゆる何かが存在または発生し始めた場合に使用する。
私が考えるに、旧来の「Bliva」は今で云う「継続の動詞」…すなわち「あり続ける」「持続する」「そのままである」の感覚で使用していたのではないか。
それは多くの古い賛美歌で使用されている言葉ではない?
この古い意味づけも、現在の国歌の文脈では「bli(va)」で宜しい。
現代的な感覚において、これは適用の誤りだとされるか、されつつある。
従って、多くの人々は恐らく「blir」を「förblir」と言い換える。

先に、これは私の推測であると述べた。
言語の変遷について見識のある方が、動詞格の「blir」と「förblir」がどのように使用されてきたのか、より良い説明をしてくれることを望む。
<私訳/終>

 ……いや、ニュアンスわがんね゛。「現代感覚では意味が通らないから、現代語訳して歌えばよくね?」と考える人も居る、と捉えて宜しいのだろうか?(ヲチなし)

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