『コケの自然誌』を読んで

科学分野の一般向け啓蒙書は多々あるけれど、これほど見事に、ページを捲(めく)らせる本は稀有である。「ネイチャー・ライティング」と呼ばれるジャンルであるらしく、あるいはジャンルの持つ毛色なのかもしれない。科学ジャンルというより、ノンフィクションの筆致なのだ。いや、そしてそれとも違う、何処かしら惹かれる、心地良い温度感がある文体だ。


>人生の大部分とも思える二〇年近い間、私は夜になるとこの小道を裸足で歩いている。


 始まりは小説的とも思えるが、過度な情景描写は程々に、苔の話が始まる。まずは微細な視点を提示する。コケ"は大気と土壤の接点"に生きているのだ、と。


>小さい、ということにおいて、彼らの限界こそが彼らの強みなのだ。


 筆者はまるで苔の声みたいに、飾らず騒がず、しかし軟弱さ・曖昧さに陥ることなく、緩やかに語りを続ける。UnknownでNonameな苔研究者氏の、生い立ちや家族構成、友人や仕事上での出会いが提示される。ここまでは、"微細な世界"である。
 しかし、苔の生は無論、自然の中の"循環"に組み込まれたものである。一つ一つの苔は微細で無力なものだが、ときに逆説的で・哲学的な"大きな働き"をもち、ときに樹木すら圧倒する環境作用として"大きな働き"を発揮する。苔は小さいけれど、それが無価値を意味するのではない。小さくも、あるいは一面で、木々と同じくらいに大きい。微細と巨大がリンクする。
 著者の、研究者としての愼ましやかな生活も、巨大な物事と無関係ではいられない。人間の経済活動は自然を傷つけてしまう。一介の研究者である以上、研ぎ澄まされた微細な感覚は、大きな現実をも見つめる。
 それでも、これは著者は"苔の人"である。視野を極大にしたまま声高に喧伝はしない。さらりと述べるに留めている。


>もはや、傍観者ではいられない


 最後に取り上げられているのは、ヒカリゴケ、洞窟の中で僅かな光を集めて生きる珍しい苔だ。彼らの"光り"とは、自ら発光する強いものでなく、レンズ細胞が光を反射させる・ささやかな輝きだ。


>そんな贈り物へのお礼として、唯一のまともな反応と言えば、私たちがお返しに光り輝くことだけだ。


 この"光り輝く"とは、きっとヒカリゴケみたいな光りなのだろう。暗い洞窟の中で、しかし入り口から差し込んでいる光りを集めて僅かに煌(きらめ)く――。
 この本には、微細な感覚がずっと通底している。小さいものを扱えば微細な感覚が表れるとは限らない。自然保護だ何だと、気宇壮大な主張をぶち上げることだって出来るのに、微細な筆致を保ち続けた。あるいは作者の内には強い思想なんかが在るのかもしれないが、本の中では熱く語られてはいない。言葉は、苔の温度で紡がれている。
 あるいは作者の独力でなく、編集者等の助力あっての筆致なのかもしれない。多分にそうだろう。しかし、物書きの助言に従ったにせよ、主題に合わせた筆致で書けるのは、手放しで素晴らしいことだ。

 なるほど、これは、苔の温度で書かれた、苔の本なのだな。