「凌駕」と云う字面について

 中国語_普通話では"冰激凌"と書いて"アイスクリーム"を指すこともある(らしい)が、これは単に「冰淇淋=冰(iceの意譯)+淇淋(creamの音訳)」との表記違いである。しかし、"冰激凌"が当てられるのは、"冰凌"(つらら)からの連想だと思われて仕方がないのだ。中国語_普通話において"凌"の字は「こおり」の意味を含んでいる。
 さて、"凌駕"と云う語についてだ。まず"駕"の字だが、これは「乗り物・馬車」を指す。そして、"凌"の字であるが……日本語においては、(1)しのぐ (2)はずかしめる の意味を持っていると思われる。また(1)しのぐ は、(1a)たえる (1b)のりこえる の意味に分かれる。これらから、"凌駕"は「(並んで走る)馬車を超える」の意味だと思われる。
 問題となるのは、現代日本語において"凌"は「こおり」の意味を残していない事である。何故に、"凌"から「こおり」の意味が消失したのだろうか。仮定を端的に述べるなら、"避諱(ひき)"が原因だと思われるのだ。古代中国・漢代に劉弗陵と云う皇帝がいる。彼の名前を避けるために【陵】の字を同音の"凌"に換えた結果として、"凌駕"と云う表記が生まれたのではないか。
なお、【夌】の字についてだが、「夊」は「(ゆっくり)歩く」など足に関する意味合いであったと思われる。【夌】の上部についてはよく分からないが、高地に設けられた聖地・聖所を指すのかもしれない。とその様に考えるなら【夌】の「のぼる」「おかす」の意味も理解しやすいのだが。(※ただし「おかす」の意は"陵"からの連想……「(墓を)おかす」からの派生かもしれない)
 【夌】の成立ちはとまれ、成立した【夌】の字は「頑張って(筋張らせて)のぼる」と云った意味を持つらしい。あるいは、この邊りの段階で「筋張らす→筋張っている→角張っている」と連想が働いたのかなとも思われる。と云うのも、"稜線"の語で御馴染みの"稜"は、"禾+夌"だろう。「角ばった穀物」と解釈したくなる。これはつまり、蕎麦(ソバ)なのではないか?
 蕎麦(ソバ)は古來「そば・むぎ」と呼ばれた。「そば」と云う大和言葉は、稜角(物のかど)を指す。ブナの木が古來、「そばのき」と呼ばれその実が「そばぐり」と呼ばれたのは実の形状が角張っていたことに由来するらしい。「そば(むぎ)」に"稜"の字が当てられても不思議ではない……と言いたいが、これは大和言葉→中国語の逆連想であるから、仮説としても怪しい。ただし、文明初期の中国大陸において農作=稻作とは言えず、地域によって異なる作物が栽培されていたことを鑑みれば、あるいはと思う部分もある。
 "稜線"と云う単語が"凌駕"と同じく"避諱(ひき)"によって生まれた言葉であるとは思わない。"稜"の字が角ばった穀物種子の形状に由来する、つまり角錐形を意味するのであれば、「角錐状に見える尾根」を"稜"と表すことはさほど不自然には思われないからだ。
 最後に「駕(しの)ぐ」と云う日本語表記だが、これは"凌駕"からの連想された【誤用】だと思われる。前述の通り"凌"の字は陵・夌・夊に関連しているのだから、狭義の"凌"=氷の筋目 から外れてもさほど不自然ではない。しかし、"駕"は元来「のりもの・かご」を指す字であり、また「しのぐ」に関連する字と繋がりはない。"駕"に和訓を当てるなら「(鞍などを)のせる」とする方が適切だろう。

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※"凌"は元来「氷の筋目」であったらしい。

※「しのぐ」と云う語は古代において「押さえつける」の意味が強かった風に思われる。(1a)たえる は「押さえつける」から容易に連想されるし、(1b)のりこえる は「押し分けて進む」から派生する。あるいは、「しのぐ」と云う語は「伸(の)す」と由来を同じにするのかもしれない、とこれは根拠のない思いつきであるが。

※「そば」は「聳(そび)えたつ」に含まれる成分なのかな?