「毛沢東詩詞」を読んでの備忘録

『毛沢东诗词』ISBN:7119045229
毛沢東の詩および詞を39作品 紹介している。
中日対照の形式であるから、訓読ではなく和訳が載せられている。
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●「贺新郎 词一首」1923年
楊開慧婦人との別離の情を詠った作とのこと。
ラストの"重比翼,和雲翥。"(ふたたび比翼の鳥となり、雲の高きに飛ばん)は、素敵である。
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●「蝶恋花 从汀州向长沙」1930年
"汀州より長沙へ"

"国际悲歌歌一曲"(悲壮なるインターナショナルを一曲歌えば)と、革命歌を登場させる辺りは共産主義者らしい。
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●「念奴娇 昆仑」1935年
>而今我谓昆仑:不要这高,不要这多雪。
而今 我崑崙に謂わん。這(かく)も高きは要らず。這(かく)も雪多きは要らず。)
>安得倚天抽宝剑,把汝裁为三截?
(安得(いかでか)天に倚(よ)れる宝剣の抽(ぬ)きて、汝をば(把)裁(た)ちて三截(みっつ)に為す )
>一截遗欧,一截赠美,一截还东国。
(一截は欧に遗(あた)え、一截は美に贈り、一截は東国に還さん)
>太平世界,环球同此凉热!
(太平の世界となし、環球を同じく此の涼熱とせん)
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●「沁园春 雪」1936年
>惜秦皇漢武,略輸文采;
(惜しむらくは秦皇漢武の、略(いささか)文采(ぶんさい)に輸(おと)る)
>唐宗宋祖,稍遜風騷。
(唐宗宋祖は、騷(しじん)の風に稍(いささか)遜(おと)る)
>一代天驕,成吉思汗,只識彎弓射大雕。
(一代の天驕たる、成吉思汗も、只 彎弓で大雕(わし)の射るを識るのみ。)
>俱往矣,數風流人物,還看今朝。
(俱(すべ)て往き矣(さり)ぬ、風流なる人物を數(あげ)るに、今朝を看る還(べし)。)
これは古き帝王よりも自らが優れていると暗に詠っているのか?
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●「卜算子 咏梅」1961年
陸游の詩を読み その意を反した、とのこと。
なにか"含み"はあるのだろうか?
>俏也不争春,只把春来报。
(俏(うるわ)し也(けれども)春を争わず、只 春の来たるを報じる把(のみ))
>待到山花烂漫时,她在丛中笑。
(山花の燗漫たる時が到ら待(ば)、她(かのじょ)の叢(はなむら)の中に在りて笑わん)
陆游の作は如何の通り。
>無意苦争春,一任群芳妬。
(春を争うに苦(はげ)む意は無く、群芳(はな)の妬むに一任す)
>零落成泥碾作塵,隻有香如故。
(零落し泥と成り、碾(ひ)かれて塵と作(な)るも、只 香は故(もと)の如く有り)
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●「重上井冈山」1965年
"重(ふたた)び井岡山に上(のぼ)る"

前半は風景描写である。
後半は意訳するなら「指を弾く間に過ぎ去った38年間であった。天に地に奮闘し、

いま凱歌をうけて環(かえ)る」くらいなもの。
そして〆の一節が素晴らしい。
>世上无难事,只要肯登攀。
(世上に難事 無く、只 登攀を肯(こ)い要(もと)むれば)
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